タコつぼで 純文学を 思いめぐらす

 西村賢太の「苦役列車」を読んだ。平成の私小説作家の名にふさわしい内容を堪能した。
 純文学はタコつぼ通信であると、高橋和己が言っていたように思うが、まさにその通りであると感じる。せこい自分自身にハマりこむことによって始めて他者とつながる。
 他者もタコつぼならではのアンテナで電波を受け取る。その微妙なやり取りが私小説にはあり、ひいては純文学にはあると思う。純文学の了見の狭さを批判する人は多いが、この独特のニュアンスは他に代えがたい魅力であると思う。