無駄な事 やってしまうは 自我の叫びか

 最近「校長が痴漢行為」というニュースを見た。酩酊して女子高校生にわいせつ行為をしたようである。

 実名で公表され、経歴はすべて帳消しであるし、家族には大変な重荷を負わせることになる。
 馬鹿な事をしたものであると考えたが、同時に、ちょっと待てよと考えた。何事もなく、校長として難しい顔をして、人生をこのまま終わるより、何もかも失って、出直す人生の方がむしろ良いのかもしれない。

 人間は馬鹿な事をするものである。

 一つの行為で何もかも終わるわけではない。周りの人間が関係もないのにバッシングに手を貸すのを許してはならない。
 身近な人間がそのような事態を引き起こしたとき、人間としてこれまでと同じ距離で付き合える度量を持った人間でありたいと思う。