すずなりを 知らぬ世代に ギャップ感じる

 秋を実感するものにいろいろあるが、隣の家の柿が色づき始め、もう秋も深いなと感じた。

 ところで、果物が木にたくさん実っているとき思わず顔がほころび、「鈴なりになっている」という。これが、昭和の我々には常識だったと思う。柿やグミやくりなど果物が実るのが今か今かと待つのが楽しみであった。すずなりになれば、ご相伴にあずかることができるので、自分の家のものだけでなくよその家の果物も他人事ではなく、チェックしていたような気がする。

 最近の子供たちは、果物は店で買うものなので、その様な実感は無いようである。そのためか、「すずなり」などという語彙は持たない。

 周期表の14族 C Si Ge Sn Pb
を 「タンスの下にゲルはすずなり」と覚えるように習った私は今でもこの覚え方を推奨するのであるが、すずなりを知らないので通じない。

(ちなみに、ゲルとはドイツ語のゲルト由来でお金のこと。銀行を信用しない金持ちが、タンス預金をしている様を示した覚え方なのである。)

 ということで、秋も深まっている。